2018みちのくひとり旅②〜三陸の旅・後編

三陸の旅の後半。
楽しいばかりだった前半に対し、後半はいろいろ考えさせられる場面もありました。

前日に借りたレンタカーで早朝に宮古を発って南下。
釜石までの半分以上の区間で高速ができていてスイスイ。

途中、釜石鵜住居復興スタジアムの建設現場へ。
来年のラグビーW杯の会場です。

釜石の街を少しだけ車窓から見てまわって、さらに南下。

三鉄・南リアス線の恋し浜駅へ。

待合室は、メッセージを書いたホタテの貝殻でいっぱい。
座る場所も無く、待合室の役目を果たしていません。

ここからさらに車を走らせて、大船渡へ。
昼に「恋し浜帆立バーガー」を食べる予定だったのですが、当分の間ホタテの入荷が無いということで、休止中。残念。

レンタカーを返して、盛駅へ。
ここからは、バスの旅。

大船渡線のうち沿岸部を走る盛駅から気仙沼駅までの区間は、震災で大きな被害を受けたのですが、鉄路ではなく、BRTというバス路線として復旧しました。
かつての鉄路のうち、活用できる部分はバス専用道とし、街の中心部などは普通のバス路線と同じように現道を利用します。
なので、普通の路線バスと比べると定時性には優れていますが、鉄道と比べるとさすがに劣ります。
現に、ボクが乗った時も渋滞に巻き込まれてしまいましたし…。
本数は、1時間に1本程度走っているのですが、観光客に限らず、そこそこのお客さんが乗っていました。

途中、陸前高田に立ち寄り。
陸前高田駅は、駅というよりバスターミナルですね。
もっとも、駅舎はできたばかりで、ロータリーなどまだまだ整備中でした。

陸前高田は、街じゅうが工事現場といった感じ。
山に近い方は嵩上げ工事が行われ、これから人が戻ってこられるよう、街が造られているところです。

一方で、海に近い方はこれからほ場整備が行われるとのこと。
その片隅には、津波に飲み込まれてしまったかつての街の痕跡を少しだけ見ることができました。

そして、沿岸部には、震災を忘れないための遺構が。

ひとつはおなじみ「奇跡の一本松」。
思いのほか多くの観光客で賑わっていました。

もうひとつ、国道沿いのガソリンスタンド。
大きな看板は津波に飲み込まれたときのまま下の方が壊れていたのですが、一番上の矢印の高さ(15.1m)まで津波が襲ったそうです。

その後、再びBRTに乗って、気仙沼へ。
この日の晩は、気仙沼の温泉のあるホテルに宿泊。
晩は、街なかの居酒屋で楽しんできました。

翌日は、三たびレンタカーを借りて南下。

まずは、南三陸町へ。
高台の方に新しい街ができると同時に、かつての街があった低地の方も嵩上げ工事が進んでいます。

さらに海沿いを南下し、旧大川小学校跡地へ。
こちらもたくさんの人が訪れていました。
ちょうど、裁判のニュースがあった頃でしたが、亡くなった子どもやその家族の方の心情を思っても、亡くなった先生方の心情を思っても、胸が締め付けられる感じでした。

そこから、さらに車を走らせて石巻市街へ。

石ノ森萬画館に立ち寄りました。
サイボーグ009がメインで、ボク的にはあまり盛り上がらなかったかな…。

石巻から列車に乗って、女川へ。
駅前は復興が進んで、きれいな街になっていました。

ダンボルギーニもありました。

旅の締めくくりは、鉄さんらしく仙石東北ライン。
震災復興を契機にできた路線です。
列車を見たとき、電車ではないことに驚きました。
なんでも、東北線が交流電化なのに対し仙石線が直流電化だからなんだそうで。
なので、仙石線と東北線の連絡線には架線がないんだそうです。

そして、仙台駅に着いて、三陸の旅は終わり。

仙台の街を少し散策したいなとも思っていたのですが、風邪の具合が芳しくなかったので、駅の中をぶらぶらするにとどめました。
土産をたっぷりと買って、最後にE6系に乗ったのは、おまけということで。

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