今のところ順調

5月の連休明けから始めたダイエット、今も続いています。

一瞬だけ80キロ台に乗ってしまったのが昨年の9月あたま。
その1年後の今年の9月あたまには71kg=BMI25.0まで絞り込もうと思っていたのですが…。
先週金曜日の朝に、早くも71kgになってしまいました(笑)

週末にしっかり飲み食いしたので少し戻りましたが、それでも71キロ台はキープしています。

この2か月で落とした体重は5キロちょっと。
と言っても、さほど無理をしているつもりはありません。
朝・昼はバランスを考えた上でしっかり食べて、晩はごくごく軽く。
それと、昼休みの散歩などで努めて身体を動かす。
あと、平日はなるべく酒を飲まない。
これだけです。

平日に飲まない分、週末はしっかり飲んで、しっかり食べます。
これが続いている秘訣だと思います。

それと、身体を動かしているので、筋肉を落とさず、脂肪を落とせているようです。
実際、自宅の体重計で体脂肪率を測ると、順調に下がっているので。

今回のダイエットの副反応ならぬ副産物がもうひとつ。

先月末にあった健康診断の血液検査で、何も所見なしとの結果が返ってきました。
長らく、中性脂肪やコレステロール、γ-GTPで引っかかっていた(それも、正常値から大きく外れた値で)のですが、あまりの劇的改善に、ボク自身びっくりしています。

と、ここまで順調すぎるダイエットですが、ここからは少しペースダウンさせようと思っています。
ここから気をつけなければいけないのはリバウンド。
その防止に向けて、運動負荷を上げて、筋肉を少しばかり増やしたいなと。
決してムキムキのマッチョボディになりたいわけではないので念のため。
ただ、今のご時世、ジムに通うのは気が引けますし、炎天下を走るのも危ないので、自宅でのストレッチが中心になりますかね。
まあ、無理のない範囲でということで。

少し時間をかけてもうひと踏ん張り頑張って、常時アンダー70kgを目指します。

話を変えて、健康ネタをもうひとつ。

昨日、1回目のコロナワクチン接種を受けました。
集団接種会場で、ファイザー社のワクチンです。

気になる副反応ですが、今のところ軽めで済んでいます。
昨日は接種後3時間経った頃から、針を入れた近くの左上腕が筋肉痛や打撲に似た痛みに襲われ、今日の日中までは資料のファイルを持つのもキツい感じでした。
ただし、腫れや発熱をはじめ、その他の症状は全くなし。
上腕の痛みも、今日の夕方以降はだいぶ収まってきています。

とりあえず、こちらもここまでは順調。
問題は3週間後の2回目なんでしょうが、きちんと受けてこようと思います。

早く、酒場で何の気兼ねもなく杯を交わせる時が戻ってくることを願いつつ。

……なんて文章を『酒場放浪記』を観ながら綴ってみました。
う〜ん、今宵は本当はちょっと飲みたい気分なのかな…。

2度目の緊急事態

広島でも、2度目の緊急事態宣言が発令されました。

まん延防止等重点措置でとの話だったのが、急転直下決まった宣言。
と言っても、現状を鑑みれば当然かなと。

1年前、最初の宣言時と比べると、諸々の制限はだいぶ緩め。
狙い撃ちになっている飲食業界には気の毒ですが、これも仕方ないでしょうね。

宣言の有無に関係なく、最近はほとんど外飲みをしていません。
GWの前に、空いていた立ち飲み屋にふらっと入って日本酒をコップ1杯飲んだだけ。

その代わりに、GW中は家で飲む酒量が大変なことになってしまってました。
連休前からアホみたいに酒を買い漁り、それを浴びるように飲んでいました。
上の写真は、このGWに行くはずだった長野・上田の信州亀齢。

しかも、食べるものもカロリー高めのものばかり。
二郎インスパイア系のラーメンとか。

なんて生活を続けていたら、流石に体に堪えた感が出てきました。
胃もたれと肩こりが半端なくって。

というわけで、緊急事態宣言の発令を機に(?)、節制を始めました。
まずは、木曜まで晩飯抜き生活にしようと思っています。

その分、朝メシ・昼メシはしっかりと食べたいもの。
なんですが、宣言の影響で、職場近くの店も多く閉まっているようです。
週1で行っているそば屋まで休み。

とりあえず、鷹野橋の酒場が、カウンターにしっかりと衝立を設置した上で手頃なランチをやっているのを見つけたので、それが中心になるでしょうか。
バランス良い食事が大事ですよね。

ちなみに、ウチの冷蔵庫には、取って置きの5合瓶が2つとワインが1本。
第4波が収束するまで我慢するつもりです。

だけど、それ以外は、なるべく我慢しないように、と。
週末くらいは美味しいもの食べたいなと。
自分を甘やかしすぎでしょうか(笑)

10年

東日本大震災から、今日でちょうど10年。
ついこの間のことのような、ずいぶん時が経ったような、不思議な心持ちです。

最近は、テレビのニュースを見ても、震災10年特集ばかりだった印象です。

ボク自身、こうしたニュースを直視できませんでした。

被災者の心の痛みに触れるのが辛いとか、未だ終息が見通せない原発事故の状況を直視するのが辛いとか、全くないわけではありません。
実際、そういう感覚は、3年前に三陸を訪れ、震災遺構や復興の現場を目の当たりにしてからますます強く抱くようになっています。

しかしながら、一番の理由は、「震災の記憶を風化させるな」の連呼に対する反発でした。

決して、報道の在り方を批判しているわけではありません。
震災の記憶を風化させるなという主張は、至極真っ当なものだと思います。

だけど、忘れたくても、忘れられねぇよ…。

10年前、ボクは東京で勤務していました。

ちょうどあの日は、菅総理(今の人じゃなくて、カンさんの方です)が外国人献金問題で窮地に立たされていて、職場のテレビでは追及の場となっていた予算委員会の中継を映していました。

その時、職場の誰かの携帯から、けたたましい音が。
上司が「これ、ヤバいよ」と呟いた次の瞬間、大きな揺れ。
ボクは咄嗟に、棚の上にあったテレビが落ちないよう押さえていました。

1分ほど揺れたでしょうか。
国会中継のテレビ画面は、程なくニューススタジオに。
その後は、津波の映像を、固唾を飲んで見守り続けていました。

宮城県からやってきていた同僚は、顔面蒼白になりながら、地元との連絡を試みていました。

そんな中、地下鉄が完全に止まっているとの情報が入り、これは帰れないぞと大騒ぎに。
ブラウザの更新ボタンを連打しながら、東京メトロのホームページで千代田線が再開したとの情報を待ち続けました。

待ち望んだ情報がようやく出たのは、午後11時前。
同じ方面の4人で職場を飛び出て、北千住行きの電車へ。
車内はさほど混んでいなかったのですが、北千住駅に着くと、反対方面の電車を待つ人で大混乱。
この混乱で、我々が乗った列車の後、運行は打ち切られたそうで、北千住まででも電車でたどり着けたことは不幸中の幸いでした。

ただ、そこから自宅のあった綾瀬までは、1駅分と言いながら、歩くと1時間。
歩いて家路を急ぐ人で歩道が溢れかえった国道4号・千住新橋を渡り、寒い夜道を男4人ひたすら歩きました。

綾瀬の駅前に着いたのは午前1時ごろ。
さすがの空腹に耐えかね、まだ開いていた駅前の焼肉屋に入ると、電車が止まった煽りでこの日は全く客が来なかったらしく、えらく歓待してもらえました。

……当日のことだけでも、十分盛り沢山です。
その後も、翌日の休日出勤の帰りに立ち寄った銀座の閑散とした景色、数日後の通勤時に地下鉄車内で一斉に鳴った緊急地震速報の音、近所のコンビニで働いていた避難者の方の東北訛り……などなど、忘れることのできない記憶は山のようにあります。

たかだか、帰宅難民になりかけたようなボクでさえこうなのです。
大切な人を失った方々、住む場所を失った方々にとっては、尚更のことでしょう。

一方で、震災の記憶の風化の実感も、確かにあります。
東北から遠く離れた広島にいると、とりわけ強く感じます。

いちばん直視し難いのは、記憶の風化、そのものなのかもしれません。