いつの間にか年末

またまた3か月超サボってしまいました。
前回の更新は9月でしたか。

あれからコロナは一旦落ち着いて、その隙にあちこち遊びまわっていました。
鹿児島へ行ったり、仙台へ行ったり、三朝温泉に行ったり、和歌山に行ったり、四国へ行ったり。
ちょっと羽目を外し過ぎだでしょうか。
その間、仕事もしっかりやっておりますので、念のため。

この年末年始は、ごく一般的な過ごし方とでも申しましょうか。
初日は水回りを中心に大掃除。
昨日は少し実家を覗いて、その足で買い出しなど。
今日は、お節の準備、といった感じで。

さて、今年の振り返り。
世の中は昨年に引き続きコロナコロナで大変な一年でしたが、ボク自身は非常に落ち着いた一年だったなと。
それもコロナのおかげ、と言うと変かもしれませんが。

そうそう、今年1番のニュースと言えば、ダイエットでした。

ただ、この2週間ほど、飲み過ぎ食べ過ぎの影響で、少しリバウンドしています…。
年が明けたら、また少し絞り込みをします。
来月末にドックもありますし。

と言いながら、今日は飲みましょうか。
酒は、今年出会った日本酒で一番美味しかった山口のわかむすめの萌木・純米吟醸。
そして、蕎麦前の板わさにだし巻き卵。
これを平らげて、蕎麦を啜って、さっさと床に就きます。

みなさま、良いお年を。

朝、家を出る際は半袖だと寒いので、先週半ばに2日ほど長袖を着ました。
昨年に比べると、1か月ほど早いと思います。

今年は、例年よりかなり早く秋が訪れているように思います。
お盆前の台風が、季節の移ろいを一気に早めたのでしょうか。
もっとも、今年は桜の開花から、梅雨入り、梅雨明けも早かったですよね。
となると、10月には初雪が降ったりして。

ここ数年、少しばかり秋に苦手意識を持っていて、涼しくなってくると体も心も重さを感じてしまっています。
夏バテが残っているのもあるかもしれませんが、それ以上になんらかのアレルギーが影響しているんでしょうね。
鼻の通りが悪くなり、睡眠の質が落ちてしまうんです。
毎晩、処方された点鼻薬を点しながら、なんとか生き延びています。

ワクチン2回目は盆前に射ったのですが、1回目同様上腕の筋肉痛が出た程度で、特に大きな副反応はありませんでした。
ただ、この1か月、ひどい肩こりに悩まされていました。肩というより、首筋や頭まで響く神経痛。
これは恐らく、ワクチンの影響ではなく(実際、ワクチン射つ前から症状が出てたので)、8月初めの野球の練習でバッティングピッチャーをやった反動じゃないかと。
やっぱり、年甲斐もなく無茶しちゃダメですね。

ダイエットの方は、計画通り、この2か月間71kg前後をキープしています。
先月末ごろに一度70.0kgというのを叩き出したのですが、夢の60キロ台はお預け。

ここ1か月は、平日の晩酌も時々やっています。

日本酒やビールでがっつり飲ることもありますが、基本はウーロンハイ。
これがために、ほとんど買ったことのない甲類焼酎を仕入れました。
薄めにして量も控えめにすれば、翌日に残ることもありませんし、体重も増えません。

涼しくなってきたので、昼休みの散歩時間も増やしました。
雨の日もあるので毎日というわけにはいかないのですが、心地よい汗をかいています。
もう少し負荷を上げたいとも思うのですが、それはもう少し夏の疲れが取れてからかな。

さて、シルバーウィーク。
今年は四国行きを企んでいました。
ワクチン接種が進んで、多少は感染状況も落ち着いていることを期待して
…たんですが、ダメでしたね。

そんなわけで、広島でのんびり過ごしています。
仕事のことは完全に忘れて。

今宵はダイエットもひと休みして、最近お気に入りのクラフトビールを。

宮島ブルワリーの風薫るラガーと潮風ラガー。
肴は鶏のレバカツ。

心身ともに絶好調……とは言えませんが、肩の力を抜いて、ぼちぼちやっていきたいと思います。

10年

東日本大震災から、今日でちょうど10年。
ついこの間のことのような、ずいぶん時が経ったような、不思議な心持ちです。

最近は、テレビのニュースを見ても、震災10年特集ばかりだった印象です。

ボク自身、こうしたニュースを直視できませんでした。

被災者の心の痛みに触れるのが辛いとか、未だ終息が見通せない原発事故の状況を直視するのが辛いとか、全くないわけではありません。
実際、そういう感覚は、3年前に三陸を訪れ、震災遺構や復興の現場を目の当たりにしてからますます強く抱くようになっています。

しかしながら、一番の理由は、「震災の記憶を風化させるな」の連呼に対する反発でした。

決して、報道の在り方を批判しているわけではありません。
震災の記憶を風化させるなという主張は、至極真っ当なものだと思います。

だけど、忘れたくても、忘れられねぇよ…。

10年前、ボクは東京で勤務していました。

ちょうどあの日は、菅総理(今の人じゃなくて、カンさんの方です)が外国人献金問題で窮地に立たされていて、職場のテレビでは追及の場となっていた予算委員会の中継を映していました。

その時、職場の誰かの携帯から、けたたましい音が。
上司が「これ、ヤバいよ」と呟いた次の瞬間、大きな揺れ。
ボクは咄嗟に、棚の上にあったテレビが落ちないよう押さえていました。

1分ほど揺れたでしょうか。
国会中継のテレビ画面は、程なくニューススタジオに。
その後は、津波の映像を、固唾を飲んで見守り続けていました。

宮城県からやってきていた同僚は、顔面蒼白になりながら、地元との連絡を試みていました。

そんな中、地下鉄が完全に止まっているとの情報が入り、これは帰れないぞと大騒ぎに。
ブラウザの更新ボタンを連打しながら、東京メトロのホームページで千代田線が再開したとの情報を待ち続けました。

待ち望んだ情報がようやく出たのは、午後11時前。
同じ方面の4人で職場を飛び出て、北千住行きの電車へ。
車内はさほど混んでいなかったのですが、北千住駅に着くと、反対方面の電車を待つ人で大混乱。
この混乱で、我々が乗った列車の後、運行は打ち切られたそうで、北千住まででも電車でたどり着けたことは不幸中の幸いでした。

ただ、そこから自宅のあった綾瀬までは、1駅分と言いながら、歩くと1時間。
歩いて家路を急ぐ人で歩道が溢れかえった国道4号・千住新橋を渡り、寒い夜道を男4人ひたすら歩きました。

綾瀬の駅前に着いたのは午前1時ごろ。
さすがの空腹に耐えかね、まだ開いていた駅前の焼肉屋に入ると、電車が止まった煽りでこの日は全く客が来なかったらしく、えらく歓待してもらえました。

……当日のことだけでも、十分盛り沢山です。
その後も、翌日の休日出勤の帰りに立ち寄った銀座の閑散とした景色、数日後の通勤時に地下鉄車内で一斉に鳴った緊急地震速報の音、近所のコンビニで働いていた避難者の方の東北訛り……などなど、忘れることのできない記憶は山のようにあります。

たかだか、帰宅難民になりかけたようなボクでさえこうなのです。
大切な人を失った方々、住む場所を失った方々にとっては、尚更のことでしょう。

一方で、震災の記憶の風化の実感も、確かにあります。
東北から遠く離れた広島にいると、とりわけ強く感じます。

いちばん直視し難いのは、記憶の風化、そのものなのかもしれません。